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元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
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◆◆◆ 陳林桃(ツェン・リンタウ) ◆◆◆


【生い立ち・慰安婦になった経緯等】

山西省羊泉村で生まれる。20歳の旧暦6月、川で洗濯をしていると、漢奸(注)2人を先頭に多くの日本軍がやってきて連行され、進圭村にて20数日間監禁、強姦される。

1995年8月に、他3名と共に日本政府に謝罪と賠償を求めて提訴。 2001年5月東京地裁、請求棄却。2004年12月東京高裁、控訴棄却。2007年4月最高裁、上告棄却。(中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第一次)・原告 李秀梅、劉面換、周喜香、陳林桃)

 注)中国人で日本軍の手先になったもの


【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】

慰安所には入れられておらず、近くの村で監禁される。


【考察】

同女が連行される際、日本軍の先頭に立ってやってきたのは2人の漢奸。また、進圭社にて監禁される前に羊泉村で集会が行われていますが、その時、「集会には50人くらいの手先がいた」と証言しています。
「ガイサンシーとその姉妹たち」には、以下の通りの記述があり、日本兵と共に多くの漢奸が行動していたようです。

「この家は日本軍が村に駐留している時、傀儡軍の“清郷隊”の本部となっていました」(P.140)
「家はあの時清郷隊の本部となっていた。全部で30数人がここで寝起きしていた」(P.140)

 ※清郷隊・・・地元の住民により組織され、日本軍に協力した武装組織

また、同女の証言では明記されていませんが、同じ村から同様に監禁・強姦された劉面換の証言を勘案すると、強姦・暴行には漢奸達も参加していたようです。


なお、「ガイサンシーとその姉妹たち」には、以下のような進圭社の老人の証言が記載されています。

「彼らの大隊長は吉田と言い、中隊長は今井といった。副中隊長は堀武といい、下にロバと赤ら顔がいて、谷川が小隊長のとき日本軍は引きあげた。しかし女性を乱暴するのは主にロバと赤ら顔、キバというような人たちだった
「ロバというのは森曹長のあだ名で、村人が赤ら顔と呼んでいた伊藤が情報班長だったあと、曹長に昇進した。キバはもともと砲兵だった。古兵だったので、誰も素行の悪い彼をどうしようも出来なかった。一九四二年夏の太行山戦役で中隊長の今井が死んだあとは、ここに2個分隊しか残らなかった。10人あまりがいるだけで、木坂が親分で、ロバ、赤ら顔が曹長になった。その後、43年夏に岩本という人が隊長として転任してきたが、あの人は若くてこれらの古兵をどうしようもできなかった」(P.152~P.153)

ここから見えてくるのは、「好き勝手する一部の日本兵とそれを統率できない部隊長。そして、それに便乗して暴行・強姦に参加する一部の中国人」という状況です。隊長は統率できないばかりか、本部に報告すると自分の責任が問われるために黙認していたのでしょう。


【信憑性】

同村や近くの村で同様の被害にあった女性達の証言と内容の齟齬はなく、信憑性はあると思います。


【資料等】
年月 資料名等 著者 出版社
内 容 等
2006.9 ガイサンシーとその姉妹たち 班忠義 梨の木舎
 私が捕まったのは、ナツメを食べ始める頃だ。私は亥年の生まれで、15歳の時2歳年上の夫と結婚した。夫は19歳の時、一九三九年に八路軍に入った。その後5年間も家に帰って来なかった。夫が八路軍に入って3年目に私は捕まった。20歳の時旧暦でいう6月のことよ。
 その日私は村の中の池でふとんカバーを洗っていた。朝ご飯を食べたあと、お母さんから「ふとんをはずして洗ってきなさい」と言われたので、私はそのとおりにふとんカバーをはずして洗いに行った。
 まもなく大勢の日本軍がやって来た。日本軍の手先になっていた張昇如、張孟生が先頭に立っていた。彼らはたばこを一服する時間も惜しんで、すぐに私の側にきて銃床で私を叩き、「この女です」と言った。
 私は怖くてなんと言えばいいのかわからなかったが、やっと「この洗濯物を家に置きに行かせてください」と頼んだ。でも許されなかった。家に戻る間に私が逃げるのでないかと疑っていた。後ろには手先がいっぱいいた。私に前に歩かせて、彼らは、銃剣で後ろから私を突きつけながら脅した。私は「歩いているでしょう、なぜ捕まらなくてはいけないのか?」
 そして羊泉村で集会をしたあと李庄村に連れて行かれた。羊泉村で捕まったのは私一人だった。集会には50人くらいの手先がいた
 李庄村に着いたら、一頭のロバに乗せられた。李庄村では私と侯冬娥さんの二人だけになった。彼らは進圭社まで送って集会をして終わったら家に送り返す、と言う。私と侯冬娥さんは別々のロバに乗せられた。2、3人の手先が前を歩いて後ろには日本人がついていた。私と侯冬娥さんは真ん中に挟まれて、逃げられないようにされた。
 進圭社維持会(注・日本軍が村につくらせた傀儡組織)では、人名のたくさん書かれたリストを持ち出してきて、「どうしてこの人を連れて来たのか?本人はどこに行ったのか?その人は劉玲月か?」と言った。
 実は張孟生は劉玲月さんの義姉の夫だったから、私を捕まえさせて彼女を逃がしたのだ。それで私がひどい目に遭った。日本人は銃床で私を殴りながらたずねた。「名前は?」私は「陳林桃と言います」。また叩いて「名前は!?」。私は「陳林桃です。殺されても陳林桃です」と言いました。「あなたたちが捕まえたいのは、劉玲月でしょう。私は違います」
 日本軍のリストには私の夫の名前もあった。私の夫は八路軍に参加していた。日本人は、「おまえの夫は兵隊に入っている。おまえは八路軍の妻だ」と言った。私は、「夫はすでに戦死した」と言った。彼らは信じないで、私に夫を呼び戻させようとした。
 私は進圭社に20数日間監禁され、ずっと侯冬娥さんと一緒だった。夜になるとぞくぞくと男が来て、その音を聞くだけで怖くてどのくらいの人が来たのか覚えていない。今も怒りが胸に湧いてくる。彼らは銃を持っている。それで私を殴って陵辱するの。抵抗すると銃床で突き飛ばされた。足の骨を折られた。侯さんは隣の部屋に監禁されていた。私の足が折れても構わず私を侮辱する。その夜は立ち上がれなかった。今でもこの骨が突き出ているよ。
 私の恨みはずっと晴れなくて、苦しかった。木坂隊長と“赤ら顔”隊長を探し出して、彼らに賠償させて、私の病気を治してほしい。(P.46~48)


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