忍者ブログ

元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
1  2 
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

◆◆◆ ベトナムの米軍慰安婦 ◆◆◆

WiLL 2007年8月号増刊 (ワック・マガジンズ,2007.8) P.37~38 秦郁彦稿
 しかし何といっても、ベトナム戦の主役は米軍である。サイゴン(現ホーチミン)を中心にベトナム人女性による売春産業は繁栄をきわめた。米軍の公式戦史はもちろん新聞も、この領域にふみこんだ記事はほとんど報道していない。
 幸いライケに駐屯した第一師団第三旅団(兵力四千)の駐屯キャンプにおける慰安所の実況について、スーザン・ブラウンミラーがピーター・アーネット記者(ピューリッツァー賞受賞者)に試みたヒアリングがあるので、次に要旨を紹介しよう。


米軍の性病感染率

 一九六六年頃までに、各師団のキャンプと周辺には「公認の軍用売春宿(Official military brothels)」が設置された。ライケでは鉄条網で囲まれたキャンプの内側にニ棟の「リクリエーション・センター」があり、六十人のベトナム人女性が住みこみで働いていた。
 彼女たちは米兵の好みに合わせて『プレイボーイ』のヌード写真を飾り、シリコン注射で胸を大きくしていた。性サービスは「手早く、要領よく、本番だけ(quick,strainght and routine)がモットーで、一日に八人から十人をこなす。料金は五〇〇ピアストル(ニドル相当)で、女の手取りは二〇〇ピアストル、残りは経営者が取った。
 彼女たちを集めたのは地方のボスで、カネの一部は市長まで流れた。この方式で、米軍は「ディズニーランド」とも呼ばれた慰安所に手を汚していない形にしていたが、監督は旅団長で、ウエストモーランド司令官もペンタゴンも黙認していたのである。
 女たちは週ごとに軍医の検診を受け、安全を示す標識をぶらさげていたが、それでも米軍の性病感染率は千分比で二〇〇(一九六九年)に達していた。(Susan Brownmiller,Against Our Will,1975,PP.9495)

 長々と引用したのは、米軍がコピーしたのかと思うほど日本軍慰安所の生態と瓜二つなので、この本を読めば米下院議員の諸氏に対する説得が省略できると考えたからでもある。ただし、女の取り分は日本軍のほうが良かった(五割以上)かわりにシリコン注射の技法はなかったことを付け加えておきたい。ベトナム戦争末期には、この種の女性たちが三十~五十万いたと書いているシンシア・エンローの著書も参考になる。

◆◆◆ 日本国内の慰安所 ◆◆◆


管理人が資料等で確認できたもののみを記載しておりますのでご留意下さい。

公文書
元日本兵の証言、その他
元慰安婦の証言



公文書
場 所  根 拠
備 考 等
北海道(釧路) 【根拠】

<第三魚雷艇隊戦時日誌 1944年7月> (注1)

三魚艇隊機密第二号ノ二
第二 出征中ノ事項
(ロ) 七月二十日海軍指定食堂及当市遊郭ヲ視察点検シ洗滌室ノ完備其ノ他衛生状況良好ト認ムル所六軒ヲ指定シ兵員ノ慰安所トシ七月二十八日総員ニ対シ衛生講話ヲ行ヒ一般衛生ニ関スル諸注意事項ヲ達シ伝染病及性病患者ノ発生防止ヲ計レリ
【備考等】

遊郭を視察して、衛生状況が良好なところを慰安所として指定したという話。
遊郭街があったとしても店によって衛生状況はピンキリ。兵士達が性病に罹ったりしないよう指定するようにしたということでしょう。

海軍第三魚雷艇隊は釧路市内にあった遊郭を指定した。
小笠原諸島 【根拠】

<父島要塞司令部参謀部陣中日誌 1942年5月> (注1)

五月九日曇
防衛報告娯楽所ニ関スル件

三、東部軍参編電第二〇二号
「娯楽所(女)洲崎ヨリ二十六名、吉原ヨリ十五名業者に於テ準備シアリ十五日頃出帆ノ芝園丸ニテ輸送ノ予定ナリ、人員ノ数差支ナキヤ返

五月十二日晴
防衛報告娯楽所ニ関スル件

四、東部軍参編電二一〇号
「十五日出帆芝園丸ニテ洲崎、吉原ヨリ女各十名宛付属人員十名合計三十名貴地ニ到ル一応到著後ノ処置並ニ爾後ノ娯楽場ニ関スル件ハ貴部ニ於テ業者ヲ指導サラレ度」
【備考等】

東京の遊郭街である洲崎、吉原より業者を呼び寄せて慰安所を設置した話。
沖縄 【根拠】

<要塞建築勤務第六中隊陣中日誌 第二・第三号 1994年5-6月> (注1)

 ~ 慰安所建築作業に関するもの。内容は省略 ~


<真子喜警備中隊陣中日誌 1944年11-12月> (注1)

十一月七日 火曜日 晴 真志喜
一、松尾一等兵慰安所設置使役兵トシテ七時大隊本部ニ至り十八時異常ナク帰隊ス

 ~ その他、同様の内容であるため省略 ~


<北飛行場第五六飛行場大隊派遣重信班 陣中日誌 1944年12月> (注1)

 ~ 軍人倶楽部改築に関するもの。内容は省略 ~


<第六二師団副官部陣中日誌 第一九号 1945年1月> (注1)

一月十五日 小雨
三、3.管理班山口軍曹以下五名首里慰安所設備作業ヲ実施ス


<独立混成第四四旅団第二歩兵隊第二大隊各隊 真部山軍慰安所建築関係 1945年1-2月> (注1)

 ~ 慰安所建築関係。内容は省略 ~
【備考等】

(注1)吉見義明「従軍慰安婦資料集」大月書店1992.11(P.379~408)より転載



元日本兵の証言、その他
場 所  根 拠
備 考 等
長野(松代) 【根拠】

<秦郁彦慰安婦と戦場の性新潮選書1999.6>

「松代には西松組が七千人の朝鮮人労務者のために作った十五軒の慰安所があった」(日垣隆「松代大本営の真実」1944、136ページ、「週刊金曜日」97年2月14日号の馬場千奈津稿、NHK衛生第一TV「戦争・心の傷の記憶」98年8月14日放映)(P.188)

-------------------------------------------

<松代大本営の保存をすすめる会編「新版 ガイドブック 松代大本営」新日本出版社2006.7>

「20歳前後と思われる4人の朝鮮人女性が、『親方』と呼ばれる朝鮮人の一家4人と、買い出し役をしていたらしい1人の下働きの男と一緒に住み込み、客に料理を出し、性の相手をさせられた。~(中略)~
 ここを利用したのは誰か。はっきりわかっていないが、日本の軍人たちは来ていなかったようである。崔小岩さんが「行ったことがない」と証言しているように、朝鮮人労務者も、過酷な労働の中で慰安所に出向くのは不可能と考えるのが妥当だろう。児沢さんの証言も合わせてみると、朝鮮人の中でも、現場の頭などをしていたような上層部の人たちが来ていたのではないかと考えられる。」(P.54~55)

「『慰安所』 児沢聡さんの証言 『~(前略)~次の日に詳しく聞いたら、そろそろ朝鮮人の労務者が入ってくるから、付近の婦女子にいたずらしねように、慰安婦を連れてきて料理屋兼ねてやるから貸してくんねかって言ってきたから~(後略)~』」(P.55) ※慰安所の家主の証言

----------以下、2007.7.3追加--------------
-------------------------------------------

<吉見義明/林博史共同研究 日本軍慰安婦大月書店1995.8> ※以下は西野留美子氏担当分

「長野県松代に大本営の地下施設工事が開始されたのは、一九四四年一一月一一日のことだった。西松組が雇用した労働者と強制連行してきた朝鮮人約七〇〇〇名が、この工事にあたったといわれている。本土決戦を覚悟した方針により、極秘のうちに進められた工事であったため、天皇の『ご座所』を掘った朝鮮人一八〇名は、秘密漏洩を防ぐために殺害されたともいわれる。
 この工事の指揮・監督にあたる軍人のために慰安所設置の準備が始められたのは、工事着工直前のことだった。戦前は養蚕室として使われていた建物の所有者を訪れた警察官は、「朝鮮人が近くの婦女子にいたずらしないためにつくるのだ」という理由で、一九四四年一二月から一ヵ月一〇〇円の家賃で、半強制的に建物を借り上げて、慰安所を準備した。ここに連れてこられた慰安婦は、二〇歳前後の朝鮮人女性四名だった。彼女たちを連れてきた慰安所の楼主は、子連れの朝鮮人夫婦だった。さらに慰安所には、「用心棒」役に朝鮮人男性が雇われていたのである。女性たちは、敗戦までそこにいたが、その後の消息はつかめていない。」(P.140~141)
----------以上、2007.7.3追加--------------
【備考等】

朝鮮人労務者向けの慰安所。

----------以下、2007.7.3追加--------------
「新版 ガイドブック 松代大本営」では、「日本の軍人は来ていなかったようである」とありますが、「共同研究 従軍慰安婦」では、「軍人のための慰安所設置」とあります。

前者は、明記はされていませんが、慰安所の家主や近隣住民の聞き取り結果等から出されたであろう結論であり、また、同書には「多数の朝鮮人女性を女子挺身隊などの名目で強制連行し、従軍慰安婦として、東南アジアをはじめとするすべての戦線に連れていった」(P.54)という記述があることを勘案すると、より、真実に近いのは前者であると思われます。わざわざウソを書く理由がないからです。
----------以上、2007.7.3追加--------------
千葉(木更津)
(※2007.7.3追加)
【根拠】

<吉見義明/林博史共同研究 日本軍慰安婦大月書店1995.8> ※以下は西野留美子氏担当分

「木更津海軍航空隊が開隊したのは一九三六年のことだった。その後一九四一年には航空隊の近くに、航空兵器やその修理・保管のための第二海軍航空厰がつくられた。さらに八重原村、周西村に八重原工場が建設され、強制連行されてきた多くの朝鮮人により佐貫町の山中に巨大な地下工場がつくられたのである。
 この地に海軍慰安所六軒が開設されたのは、一九四三年二月のことだった。女性たちは「海軍慰安所従業婦」として募集され、一軒に七名から一〇名、総勢約五〇名の慰安婦が集められた。日本軍慰安婦の他に、朝鮮人業者が経営する慰安所には、朝鮮人軍慰安婦の姿もあった。ここには、朝鮮女性と沖縄の女性が十数名集められていた(57)。朝鮮女性は銚子から連れてこられたが、海に飛び込み自殺した者もいたという。」(P.137)

「(57)明石清三『木更津人肉の市』1957年、洋々社、56ページ以下」(P.149)

【備考等】

奈良(天理)
(※2007.7.3追加)
【根拠】

<吉見義明/林博史共同研究 日本軍慰安婦大月書店1995.8> ※以下は西野留美子氏担当分

「大和海軍航空隊が大林組に依頼して進めていた奈良の柳本飛行場建設においても、軍人用の慰安所が作られていた。
 外部にしられることはなかったが、敗戦まぎわに、姜正市さんはこの慰安所の存在を知ることになった。敗戦になり、女性たちを救い出そうとそこを訪れたところ、『慰安所は一つの棟で通路の両側に三畳間が合わせて二十八あった。なかはうす暗く荒れはて、悪臭が鼻をついた」という。ここにいた慰安婦は二五人全員が朝鮮人で、年齢は一七歳から二四歳だった。挺身隊として集められ、『軍隊で兵隊さんの身の回りの世話をする仕事だ』と説明された。ところが日本に連れてこられ、入れられたところは慰安所だったのである。『日本敗戦後、彼女たちを監視してた男たちは逃亡し、姜さんらが助けに来るまで、生活するすべを持たない彼女たちは慰安所に残らざるをえなかった』という(64)。」(P.141)

「(64)朝鮮人強制連行真相調査団『強制連行された朝鮮人の証言』1990年、明石書店、120ページ以下」(P.149)

-------------------------------------------

<解放出版社編金学順さんの証言『従軍慰安婦問題』を問う」解放出版社1993.2>

「戦争末期、奈良県天理市に急ごしらえで建設された大和海軍航空隊の柳本飛行場について取材したが、その過程で建設現場に慰安所があった事実を知り、「日本でいい仕事がある」と騙され朝鮮半島から連行された年若き女性たちがいた事実に出合ったのである。~(中略)~
 まもなくして、戦後、その慰安所から二〇人近い『朝鮮人慰安婦』を救い出した在日朝鮮人男性姜正市さんと会うことができた。~(中略)~
 『女性たちは慶尚道(韓国慶尚南道、慶尚北道両道をさす)から連行された。桜井町の特高警察が計画し、協和会の最高幹部、日本名池田という男が慶尚道を訪れて、『家事の手伝い仕事だ』とだましたのだ』
 『女性は一七歳から二六歳までの二〇人だった』
 『昼はマメ、夜はカンパンという粗末な食事しか支給されなかった』
 完成直前だった飛行場には二千人とも三千人ともいわれる朝鮮人徴用工がおり、解放の日から一ヵ月後に下関まで送られ、そして輸送船で釜山に渡った。しかし、『慰安婦』にされた女性はその場に放置されたのである。
 『解放後、彼女たちだけは飛行場用地に取り残された。日々の食料もことかき、飛行機用のメチルアルコールを飲むなどしてなんとか飢えを癒した。このことを聞いて、私は現地にかけつけ救出したのだ。四五年九月下旬のことだ』(P.207~210)

【備考等】

「共同研究 従軍慰安婦」では「軍人用の慰安所」と明記されていますが、「建築中の基地」、「朝鮮人労務者」、「大林組」と、松代と同じパターンです。本当に「軍人用」だったかは、他の資料もあたってみないと何とも言えないところです。

また、上記の両書とも、同一人物からの証言を元にしていますが、内容が微妙に違っています。

敗戦と共に朝鮮人労務者達は朝鮮に帰ったのに、何故、慰安婦だけが取り残されたのでしょうか。一緒に帰ればよさそうなものですが。

香川(観音寺)
(※2007.7.3追加)
【根拠】

<吉見義明/林博史共同研究 日本軍慰安婦大月書店1995.8> ※以下は西野留美子氏担当分

「一方、四国の観音寺市にあった海軍飛行場にも、同様の慰安所がつくられていた。この飛行場の建設は、1943年4月に決定し、作業が開始されたのは翌年の4月ごろだった。飛行場建設の土木作業にあたったのは朝鮮人であり、『香川県知事引継書』には『朝鮮人強制労働者は四五三名』と記述されているが、最盛期には五〇〇名はいたといわれる。請け負い業者は松村組であった。ここから川沿いに一〇〇メートルぐらいの場所に、三〇ほどの部屋を区切った慰安所があったことが、地元調査団の調べで明らかにされた(65)。」(P.142)

「(65)朝鮮人強制連行真相調査団『朝鮮人強制連行調査の記録 四国編』1992年、柏書房、132ページ以下」(P.149)
【備考等】

果たして、軍人用慰安所だったのでしょうか、それとも朝鮮人労務者向けの慰安所だったのでしょうか。
沖縄(宮古島) 【根拠】

<1992・京都「おしえてください!『慰安婦』情報電話」報告集編集委員会「性と侵略ー『軍隊慰安所』84か所 元日本兵らの証言」社会評論社1993.7>

「沖縄本島の南に宮古島ちゅう島がありますけど。そこにおったんですけど。そこにも二か所くらいあったかなあ。五人ずつ、全部で一〇人ぐらいやったと思う。それは終戦後、米軍がつれていきよりました。沖縄本島へ。飛行機で迎えにきて。おそらく朝鮮人の人か日本人か、どっちかやろねえ、親方がねえ。」(P.66) ※豊部隊(二八師団) 憲兵の証言
【備考等】


※下記書籍では、日本兵の証言として上記以外に「北千島・占守島、新島、八丈島、松山、南大東島、沖大東島、石垣島、琉球諸島」に慰安所があったとされています。元の資料を確認できれば上の表に反映させます。

 <姜春子・金富子・金薫子・朴潤南・梁澄子「もっと知りたい『慰安婦』問題 性と民族の視点から」明石書店1995.1>

----------------以下、2007.7.3追加--------------------
※<吉見義明「従軍慰安婦」岩波新書1995.4>には、「そして、大量の兵員が送られた地域では、多くの軍慰安所がつくられた。本土決戦にそなえて大量の兵員が配置された九州や千葉県にも設置されている。」(P.77)とあります。
----------------以上、2007.7.3追加--------------------



元慰安婦の証言
※名前のリンクをクリックすると信憑性の検証ページに飛びます。
場 所  根 拠
備 考 等
長野(松代)

富山(?)
【根拠】

姜徳景

<伊藤孝司「写真記録 破られた沈黙」風媒社1993.7>
「『ここはどこですか』と聞いてみました。そしたら『マツヤマ』だとか『マツシロ』とか言ったんです。兵隊の『小林』にも聞いたところ、口に手を当ててシィーと言いながら、「ここは天皇陛下が来るところ」とか「避難に来るところ」と言いました。」(P.68)

※同女は不二越の工場を脱走した後、憲兵に捕まり慰安所に入れているので、最初に入れられたのは富山あたりだと思われます。上の証言は、その後に入れられた所。
【備考等】

「写真記録 破られた沈黙」には、姜徳景が松代大本営の慰安所跡を訪問した時の写真が掲載されていますが、上記【元日本兵の証言、その他】に記載しているように、この慰安所跡は朝鮮人労務者向けの慰安所です。
大阪 【根拠】

金卿順(崔明順(仮名)と同一)

<伊藤孝司「写真記録 破られた沈黙」風媒社1993.7>
「私は大阪の倉庫に連れて行かれました。そこには入り口に歩哨が立っていて、事務所ではやって来た兵隊から切符を受け取っていました。」(P.94)

<韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会「証言-強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」明石書店1993.10>
「おばさんが私がここはどこかと聞いても、そんなこと聞いてはいけないと言いましたが、でもちらっとオオサカという言葉を聞いたような気がします。」(P.279)
【備考等】
大阪 【根拠】

尹順萬

<伊藤孝司「写真記録 破られた沈黙」風媒社1993.7>
「ある日、私を含めた7人の朝鮮人女性が大阪に送られました。そこで『慰安婦』にされたのです。」(P.90~91)
【備考等】
福岡
神戸
大阪

千葉(流山)
和歌山
【根拠】

沈美子

<アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件訴状>
「『ここはどこか。』と同室の女性たちに聞くと、日本の『福岡』というところだといわれた。」
「その後、テント付きのトラックで神戸の慰安所に移動し、そこに約八ヵ月いたあと、さらに大阪の慰安所に移された。」

<伊藤孝司「〔証言〕従軍慰安婦・女子勤労挺身隊」風媒社1992.8>
「女たちが『ここは福岡だ』と言うので」(P.141)
「ある時、『ナガレヤマ』の部隊に『慰安婦』を連れて行くトラックがあった、私も乗って行きました。」(P.144)
「私は『鈴木』に連れられて「ナガレヤマ」だけでなく、神戸・大阪・和歌山にある部隊にも、福岡から行ったり来たりしました。」(P.149)
【備考等】

流山と和歌山については、裁判の訴状には見られない。
千葉(茂原)
(※2007.7.3追加)
【根拠】

田中タミ(仮名)

<川田文子「皇軍慰安所の女たち」筑摩書房1993.8>

「農家が点在する千葉県茂原の田園地帯に、忽然と七軒の慰安所が建てられたのは一九四四年秋である。大吉楼の主も軍の要請を受け、出店した。建物は、日頃船橋の店に出入りしていた大工が建てた。~(中略)~
 それまで船橋で小間使いとして働いていたタミは、慰安所開設と同時に茂原に連れて行かれた。」(P.186)

-------------------------------------------

<吉見義明/林博史共同研究 日本軍慰安婦大月書店1995.8> ※以下は西野留美子氏担当分

「一方、一九四三年に千葉県茂原に海軍の航空基地がつくられた。その翌年の秋に、ここにも海軍慰安所7軒が設置された。一軒に六、七名いた軍慰安婦は、『茂原に来るまでは売春体験いや性体験もなかった娘たちだった(59)』という。業者は船橋や州崎からきた遊郭経営者がほとんどであったが、軍人・軍属以外の立ち入りは禁じられ、軍の指導のもとに軍慰安所として経営された。」(P.138)

「(59)川田文子『皇軍慰安所の女たち』1993年筑摩書房、187ページ以下」(P.149)

【備考等】

沖縄
(慶良間諸島(渡嘉敷島)、大東島、那覇)
【根拠】

裵奉奇

<川田文子「イアンフとよばれた戦場の少女」高文研2005.6>
「コンドウは朝鮮から連れてきた51人を慶良間諸島に21人、大東島に10人、那覇に20人と三組に分けました。慶良間に向かった21人はさらに7人ずつに分けられました。こうしてポンギさんは慶良間諸島のなかの一つの島、渡嘉敷に着きました。」(P.20)
【備考等】


※下記書籍では、慰安婦の証言として上記以外に石垣島に慰安所があったとされています。元の資料を確認できれば上の表に反映させます。

 <姜春子・金富子・金薫子・朴潤南・梁澄子「もっと知りたい『慰安婦』問題 性と民族の視点から」明石書店1995.1>


◆◆◆ <写真>韓国の米軍慰安婦 ◆◆◆


 以下は、日帝侵略時代の歪曲歴史を糾すために特別写真展が開かれるとの記事です。

 しかし、掲載されている写真の柱等には「OFF-LIMIT」、「KEEP OUT」の英語が。どうみても、朝鮮戦争時の韓国の慰安所の写真です。
2007.4.27 連合ニュース「慰安婦‘宿所’公開」
※リンク先は韓国語
--- 記事(※機械翻訳) ---

日帝強点時代を照明して歪曲された歴史を直すための来月 2日開かれる予定である '日製侵略時代' 特別写真展に最初公開される慰安婦宿所. この写真はその間公開不可状態で外国資料室に保存して来たことを買うは研究がチョン・スンギを(66.ソ・ジェピル記念事業会諮問委員)さんが 3年前から日本, 中国, アメリカ等地で収集した貴重な資料だ.

◆◆◆ 現在の韓国の状況(売春関連記事等) ◆◆◆



2003.2.6 中央日報 「買春売春市場の規模、年間26兆ウォン」 2007.5.4追加
2004.5.19 朝鮮日報 「女性不良債務者集め日本の風俗店に引き渡す」 2007.5.4追加
2004.6.17 朝鮮日報 「売春女性の73%『10代の時から従事』」 2007.5.4追加
2004.10.18 中央日報 「【写真】釜山の売春女性もデモ」 2007.5.4追加
2004.10.19 朝鮮日報 「公娼制度の導入を!」 2007.5.4追加
2004.10.22 朝鮮日報 「売春女性の81%『生計問題で売春始めた』」 2007.5.4追加
2005.7.4 東亜日報 「米遠征・性売買組織『コリアの恥』」 2007.5.4追加
2006.6.21 中央日報 「韓国人女性8000人、米国で‘遠征売春’」 2007.5.4追加
2007.2.26 朝鮮日報 「韓国船乗組員のキリバス未成年者買春相次ぐ」 2007.5.4追加
2007.3.21 朝鮮日報 「米国の人身売買被害女性、韓国人女性が最多」




2003.2.6 中央日報 「買春売春市場の規模、年間26兆ウォン」

 政府が行った調査のまとめによると、韓国の買春売春産業は年間26兆ウォン(約2兆6000億円)台の規模であり、買春売買産業の専業女性がおよそ26万人にのぼる。 今回の調査は、政府が行った初の買春売春産業調査報告であり、民間団体まで含ませたケースとしても全国規模で行われた初の実態調査となる。

 26兆ウォンにのぼる買春売買産業の規模は、2001年の国内総生産(GDP)545兆ウォン(約55兆円)に比べるとき、その5%にあたる。また、専業女性数およそ26万人は、満20歳から34歳までの女性(2002年、統計庁)人口の4%にのぼる。 

 女性部は、韓国刑事政策研究院に依頼し昨年1年間にわたって、ソウル、釜山(プサン)、大邱(テグ)など大都市と邑・面(ウッブ、ミョン=韓国地方の行政単位)地域の総5600の業者を対象に面接調査を行った。

 女性部は7日、同報告内容に基づき関連女性団体らとともに「韓国の買春売春市場の規模と現況」との政策討論会を開く計画だ。

(太字:管理人)
(※2007.5.4追加)


2004.5.19 朝鮮日報 「女性不良債務者集め日本の風俗店に引き渡す」

 ソウル警察庁外事課は19日、衣料品店を開き、実際には不良債務者の女性を集めて日本など海外の風俗店に引き渡した容疑(職業安定法違反等)で総責任者のキム某(39)容疑者ら6人を拘束し、不法ビザ発給に関与したハン某(39/旅行会社代表)容疑者ら3人を書類送検した。

 警察によると、キム容疑者らは昨年11月頃からインターネットのN居酒屋の紹介サイトに「不良債務者の女性たち、日本で就職してはどうですか。1カ月に1000万ウォンは簡単に稼げます」と広告を出し、これを見て連絡した女性150人余を日本や香港などの風俗店に不法に引き渡した疑いが持たれている。


 キム容疑者らは名目上、ソウル・江南(カンナム)区・新沙(シンサ)洞に50坪余のD衣料品店を開き、実際には勧誘者を通じて「実績によってインセンティブを払う」と女性を集めてきたと警察では見ている。

(太字:管理人)
「お金に困っている人を甘言で騙して風俗嬢にする」という行為は、多くの元・従軍慰安婦が証言している内容と全く同じものです。
(※2007.5.4追加)


2004.10.18 中央日報 「【写真】釜山の売春女性もデモ」

 釜山(プサン)の代表的な私娼窟である俗称「玩月洞(ワンウォルドン)」の事業主と従業員およそ600人が18日午後、釜山忠武洞(チュンムドン)の交差点で、集中取り締まりの中止と生存権の保障などを求め、街頭行進を繰り広げている。

(太字:管理人)
(※2007.5.4追加)


2004.6.17 朝鮮日報 「売春女性の73%『10代の時から従事』」

 売春女性の10人中7人の割合で、10代の時から売春を始めており、始めるようになったきっかけは詐欺性の広告に騙されたケースが最も多いと調査された。

 また、一般的な認識とは違って、売春女性の場合、欠損家庭の比率が低く、世帯あたりの月平均所得も高いと調査された。

 17日、釜山(プサン)で開かれた「性売買防止対策と今後の課題シンポジウム」で、売春被害女性の支援団体「セウムト」のキム・ヒョンソン代表は「売春被害女性100人を対象にアンケート調査した結果、73%が13歳から19歳の期間中に売春を始めたと調査された」としながら、このように発表した。

(太字:管理人)
日帝の統治下でなくても、詐欺で騙されて、未成年はもちろんのこと13歳で売春婦を始めることもあるようです。(※2007.5.4追加)


2004.10.19 朝鮮日報 「公娼制度の導入を!」

売春女性3000人余が19日、ソウル・清涼里(チョンリャンリ)駅広場で性売買特別法による取り締まりの中止と公娼制度の施行などを要求する集会を開いている。

(太字:管理人)
従軍慰安婦肯定論者の中には、公娼制度そのものを批判する人も多いですが、韓国の売春女性たちは公娼制度の導入を要求しています。
(※2007.5.4追加)


2004.10.22 朝鮮日報 「売春女性の81%「生計問題で売春始めた」

 売春女性のほとんどは生計問題で前借金をし、売春を始めたが、いざ前借金規模は日増しに膨らみ売春の強制手段として悪用されていることが分かった。

 22日、警察庁によれば、先月23日、性売買特別法施行後、1か月間性売買被害女性緊急支援センターに通報した被害女性148人を対象に調査した結果、生計問題のため、売春を始めた女性が81%に達した。

 本人の生計のためは53%、次に家族の生計問題20%、負債問題8%の順だった。

 また、前借金が業主の人権蹂躙の手段かを聞く質問に、被害女性の64%が「そうだ」と答え、前借金が売春の強制手段として悪用されていることが明らかになった。

(太字:管理人)
元・従軍慰安婦達も、貧しい家庭に育った人が殆ど。
「お金は一銭ももらっていない」と証言する人も多いですが、上記記事のような悪徳業者に捕まってしまったからでしょう。

(※2007.5.4追加)


2005.7.4 東亜日報 「米遠征・性売買組織『コリアの恥』」

 米連邦検察は、韓国女性数百人を米国に密入国させてカリフォルニア一帯で性売買を斡旋してきた2つの組職を急襲し、組織員45人を逮捕して性売買女性150人あまりを拘禁したと、1日 、発表した。

 連邦検察と連邦移民取り締まり局、国税庁などが先月30日に合同取り締まりを行った結果、地域別性売買の店はロサンゼルス一帯=28ヶ所、サンフランシスコ一帯=50ヶ所で、これらはマッサージパーラー、鍼、サウナマッサージ、カイロプラクティックに装って、性売買を行ってきた、と検察は明らかにした。

 同日の夕方、重武装した連邦捜査官たちが、ロサンゼルス韓国人タウンのルームサロンとハリウッド地域のマッサージ店、女性従業員たちが集団居住するアパート、両替店などを内部捜索した後、関連者たちを手錠をかけて連行する場面が韓国人に目撃されたりした。

米捜査当局は今年1月、ロサンゼルスで「性売買・人身売買犯罪の合同捜査隊」を発足させ、この地域の韓国人マッサージ業界を中心に性売買が横行していると指摘した。引き続き、単純性売買を超えて犯罪組職が介入した密入国と人身売買まで行われるや、連邦政府レベルで大々的な取り締まりに乗り出したらしい。

 今度の捜査対象になった組職はチョン・ヨンジュン(39、ビバリーヒルズ居住)、金ホギョン(36、ルームサロン代表)氏が運営するロサンゼルス所在「チョンス・オーガナイゼーション」、サンフランシスコの「ヨンス・オーガナイゼーション」などだと検察令状を引用して、米国の各マスコミが2日、報じた。チョン氏は30日に逮捕した。検察は彼らを含めて合計55人を起訴した。

 性売買に携わった韓国人女性の中で一部は訪問ビザで米国に入国しており、一部は密入国斡旋組職に個人当たり最高1万6000ドルを支払ってカナダまたはメキシコを経て米国に密入国した。こうして米国に入ってきた韓国女性たちのうち、一部は経費を用意するため自ら性売買に出たと検察は明らかにした。

 米捜査当局は去年5月にも、ロサンゼルス一帯で性売買斡旋とマネーローンダリングをしてきた韓国人組職を逮捕したが、当時この組職は10年間毎年150万ドル(約15億ウォン)の収入を上げており、核心人物の家で240万ドルもの現金が見つかったことがある。

 米国の韓国人たちは、「今度の事件で韓国人社会が性売買の温床という汚名を着せられた」と恥ずかしいという反応を見せた。

(太字:管理人)
(※2007.5.4追加)


2006.6.21 中央日報 「韓国人女性8000人、米国で‘遠征売春’」

米コネチカット州南部のウォーターバリーで6月2日午後9時、韓国人女性33人が逮捕された。

 ウォーターバリーの警察関係者は「マッサージ店で売春が行われているという情報を入手し、2カ月間にわたり捜査を続けてきた」とし、「韓国人マッサージ店が急増している」と述べた。

 米国内で不法滞在中の韓国人女性による売春が社会問題に浮上している。 韓国情報当局は「ロサンゼルス市警察局は、売春が疑われる韓国人女性の流入規模が04年以降、8000人にのぼると推定している」と明らかにした。

 特に、政府は「国内で売春取り締まりが強化されたことで、カナダやメキシコ経由で米国に密入国する遠征売春が急増している」とし、その原因の一つに04年9月発効の「性売買根絶特別法」を挙げている。 一方を押さえるともう一方が膨らむという、性売買特別法の‘風船効果’を実感させている。

◆米国内「反韓流」の主犯=昨年6月30日、400人余で構成された米連邦捜査局(FBI)・国土安全保障省・警察の合同取り締まり班は、ロサンゼルスとサンフランシスコで、売春容疑女性150人など計192人の韓国人を逮捕した。

今年に入ってもニューヨーク州・バージニア州など韓国人密集地域で、韓国人女性が売春容疑で相次いで逮捕されている。 ロサンゼルス警察局の関係者は「毎月逮捕される70-80人の売春女性のうち9割が韓国人」と話す。

韓国人女性の売春は最近、同胞密集地域を抜け出して米中部内陸まで広がっており、米司法当局が注視している。 さらにはマンションで売春が摘発されることもあり、一部の米国人は韓国人女性の入居を拒否するなど反韓情緒も生じていると、情報当局は明らかにした。

米国土安全保障省・移民税関取り締まり局のカイス公報担当官は電話で、「こうした売春は、移民法違反・マネーロンダリング(資金洗浄)・人権じゅうりんなどの側面で米国的価値を脅かすものだ」と語った。

◆韓米ビザ免除協定にも影響=米国務省は3月、05年度人権報告書の韓国パートで「米国に入国(カナダ・メキシコ経由を含む)した韓国人女性が性的搾取のため人身売買されている」と記述した。

政府もこの問題を深刻に受け止め、対策づくりに着手した。 4月には外交通商部(外交部)・法務部・検察庁・警察庁などに遠征売春を防止のための協議機構を設置したのに続き、国際司法との協調も強化している。 05年以降、韓国・米国・カナダの3カ国は、売春容疑者に対する旅券発給制限や捜査協力などを議論する共同協議体を稼働した。

特に、政府は韓米ビザ免除協定に及ぼす影響を憂慮している。 駐韓米国大使館のカービー総領事は最近、米国内の韓国人女性が売春容疑で逮捕された事件を取り上げながら、「ビザ免除国になるには韓国に対する米国人の認識が重要だが、心理的に影響を及ぼしうる」と指摘した。

外交部の当局者は「ビザ免除プログラムに加入するには、国土安全保障省の審査を経て米国議会の決定が必要」とし、「議員が遠征売春などで韓国に否定的認識を持った場合、問題を提起することも考えられる」と語った。

(太字:管理人)
(※2007.5.4追加)


2007.2.26 朝鮮日報 「韓国船乗組員のキリバス未成年者買春相次ぐ」

 南太平洋のキリバス共和国で、韓国船の乗組員による現地の未成年者を対象とした買春行為が相次いでいることが分かった。

 これを受け、海洋水産部と青少年委員会は28日、青少年委員会会議室で対策会議を行い、▲水産会社に対する指導や取り締まり、▲乗組員に対する買春予防教育、▲キリバス現地の女性被害者やその子どもに対する支援、などについて話し合うことにした。

 国家青少年委員会が、「青少年のための明日の女性センター」とともに昨年12月19日から10日間にわたり、韓国船の乗組員がキリバス現地の女性や青少年を対象に買春行為を行ってきた実態について調査した結果、2003年にキリバス政府が韓国船の停泊禁止措置を下し、04年には国際会議が韓国船の乗組員によるキリバス現地の青少年を対象とした買春問題について取り上げたにもかかわらず、その後も韓国船の乗組員による未成年者を対象とした買春行為は続けられていたことが分かった。

 また、青少年委員会が、韓国船の乗組員を対象に売春行為を行っている女性や青少年など24人を対象に調査した結果、9人が現在18歳未満であるか、18歳になる前から売買行為を行っていたことが分かった。また、中には14歳の少女も含まれていたという。

 特に、これらの未成年者を含む現地人女性は昨年から韓国船の乗組員と関係を持ち始めたとしており、韓国船の乗組員らは、03‐04年にかけ国際的にも物議をかもしたにもかかわらず、引き続き青少年を対象に買春行為を行っていたことが確認された。

(太字:管理人)
日本人による東南アジア諸国の未成年相手の買春が問題になったこともありました。
(※2007.5.4追加)


2007.3.21 朝鮮日報 「米国の人身売買被害女性、韓国人女性が最多」

 2005年に米国で行われた売買春一斉取り締まりの結果、人身売買の被害女性のうち、韓国人女性が最も多かったことが明らかになった。

 韓国人女性の海外売春の実態を調査するためワシントンを訪れている国会女性家族委員会議員団(団長:尹元昊〈ユン・ウォンホ〉ヨルリン・ウリ党議員)は、今月19日に開いた特派員懇談会で、「米司法当局がおととし大々的に実施した売春一斉取り締まりの結果1300人余りが検挙され、このうち人身売買の被害者に分類され在留許可が下りた230人のうち、韓国人女性が54人と最も多かった」と明らかにした。

 韓国女性の次はタイ、ペルー、メキシコの順。米司法当局はこの韓国人女性54人が大部分人身売買の被害女性であることを確認した、と議員団は語った。

 被害女性らは臨時の滞在が認められるTビザの発給を受け、現在米国で合法的に生活している。なお米国土安全保障省は、人身売買組織によって米国での売春を強要されたと判断した場合、人身売買被害者に対する支援法に基づきTビザを発給し、3年後に永住権を申請する資格を与えている。

 また、尹元昊議員は「2004年に韓国で施行された性売買特別法のため、韓国人女性らが米国に渡ったとされるいわゆる“風船効果”は統計上確認できなかった」と主張した。

 一方、議員団と面談した米国務省関係者らは「韓国の性売買特別法のため米国に渡ってくる風船効果があった」と述べていたことが分かった。ワシントン総領事館によれば、米国内の韓国人売春婦に対する正確な統計は事実上まったく存在していないという。

(太字:管理人)
現在も韓国女性の状況はあまり変わっていないようです。


◆◆◆ 1950、1960年代の韓国の米軍慰安婦 ◆◆◆

1957.7.21 東亜日報「美軍慰安婦身勢悲観自殺」


20歳と21歳の米軍慰安婦2人が自らの身の上を悲観して自殺。


1957.5.1 東亜日報「黒人下士所行? 坡州の慰安婦殺害事件」


米軍の黒人下級兵士が慰安婦殺害(疑惑)。
この時代の慰安婦制度では、韓国政府(もしくは地方自治体?)が慰安婦を管理していたようです


1961.9.14 東亜日報「UN軍相対慰安婦13日から登録実施」

 ソウル市警では市社会局に「国連軍相手慰安婦性病管理士業界」計画によって三日から国連軍相手慰安婦の登録を官下一線署に伝達して実施している。
 ところで今度の登録対象は▲法的婚姻関係がなくただ一人の外国人と同居している女性▲国連軍相手慰安婦などだと言う。



上記は☆大韓ニダの介の韓国研究~韓国企業で働いた経験を持つ著者の嫌韓批判&反日批判さんの記事を参考にさせていただきました。


忍者ブログ | [PR]