従軍慰安婦問題については、存在そのものを否定する論者と肯定する論者がまっこうから対立しています。
現在、主な争点は「強制連行」にあり、そこでは、「狭義の強制連行」と「広義の強制連行」という議論があります。
「広義の強制連行」は、Wikipediaでは以下のように記載されています。
「強制連行はあった」派の吉見義明は、はっきりと辞書的な意味での「強制連行」を「狭義の強制連行」とし、もっと曖昧な形態による(例えば、本人の選択という形を取っているが借金で追い込んだなどというような)「慰安婦」従事への強制を「広義の強制連行」とした。
つまり、
「狭義の強制連行」・・・・辞書的な意味での「強制連行」
「広義の強制連行」・・・・「狭義の強制連行」よりもっと曖昧な形態による「慰安婦」従事への強制
ということです。当ブログでは、この「強制連行」の言葉の意味に関する議論は置いておいて、実際に元・従軍慰安婦達が「どのような経緯で慰安婦となったか」を見ていくと同時に、その証言の信憑性を検証していきたいと思います。
なお、広辞苑と大辞林を見てみましたが「強制連行」という言葉は載っていませんでした。Wikipediaでは「本人の意思とは無関係に連れ去ること。第二次大戦中、日本が労働力確保のために植民地や占領地から強制的・暴力的に人々を連れ去ったことを意味することが多い。」と記載されています。
当ブログを作成した理由は、各論者が自分の都合の良い部分のみを提示して全体像が良くみえず、自分で実際に調べてみようと思ったからです。
従軍慰安婦肯定論者は、元・従軍慰安婦のやたら悲惨な部分を取り上げますし、従軍慰安婦否定論者は、信憑性がない元・従軍慰安婦の発言や高額な貯金をしていた部分を取り上げます。
このような立場は議論の都合上、仕方のないことですが、双方の立場からは「明日とも知れぬ我が身に恐れおののきながら戦っていた我々のお爺さん、ひいお爺さん達が、従軍慰安婦の人達に慰め安らげられ、まさに『慰安』されたこともあった」と言う事実は見えてきません。
ただ、慰安婦の実像や全体像を知るのであれば、書籍等の元・従軍慰安婦の証言を読めばよい話であり、当ブログでは、今、議論になっている「強制連行」の部分、つまり、「慰安婦になった経緯」についてにスポットを当て情報を提供していきたいと思います。
当ブログが、皆様が従軍慰安婦問題を考える上での一助となれば幸いです。
○「従軍慰安婦」という言葉
○慰安所とは
○元・従軍慰安婦の証言を読む上での留意事項等
◆◆◆ 韓 国 ◆◆◆ | ||||
名前 | 慰安婦となった 経緯 |
証言の信憑性 | 備考 | |
李玉善 (イ・オクソン) |
街中で男二人に拉致される | △ | 証言内容に疑問点が多い | ・李玉仙と表記されている場合もあり 2007.4.8 情報追加 |
李玉粉 (イ・オクプン) |
父が呼んでいると騙され拉致される | △ | 特攻隊設立前に特攻隊の慰安所に入れられている | ・李貴粉と表記されている場合もあり 2007.4.24 情報追加 |
李相玉 (イ・サンオク) |
工場で働かせるという軍属に騙され | △ | 騙して連行したのが軍属になっているが、やっていることは、ただの人間ブローカー | |
李順玉 (イ・スノク) (仮名) |
工場で働かせると男に騙され | ○ | ||
李得南 (イ・トクナム) (仮名) |
日本人の人間ブローカーに騙され | ○ | 2007.4.12 新規追加 | |
李容洙 (イ・ヨンス) |
軍人に誘拐され | × | 後から、強制連行に証言を変更。当初は、物につられて見知らぬ男について行ったと証言 | 2007.8.28 情報追加 |
李用女 (イ・ヨンニョ) |
飲み屋の女主人に金をたくさん稼げると騙され | ○ | ・李容女と表記されている場合もあり 2007.4.7 情報追加 |
|
李英淑 (イ・ヨンスク) |
男に日本で就職させてやると騙され | ○ | ||
呉五穆 (オ・オモク) |
男に工場に就職させてやると騙され | ○ | ||
金田きみ子 (源氏名) (本名:朴福順) |
日本人に工場で働くと騙され | × | 裁判の原告になって以降、同女の証言が取り上げられていない | 2007.4.13 新規追加 |
姜日出 (カン・イルチュル) |
家に来た巡査に「軍靴の紐を編む工場で働かせる」と騙され | △ | 入れられた慰安所が証言ごとに違う | 2007.8.29 新規追加 |
姜徳景 (カン・ドクキョン) |
工場脱走時に憲兵に連行される | 保留 | 2007.6.27 内容修正 | |
金玉珠 (キム・オクジュ) |
日本人に家政婦をすると騙され | △ | 多くの証言集で取り上げられていない | 2007.5.1 新規追加 |
金卿順 (キム・キョンスン) |
男に就職させると騙され日本人将校の妾にされ、その後慰安所に入れられる | △ | 大阪に慰安所があって、入り口に歩哨がいたというのは疑問 |
・崔明順(チェ・ミョンスン)(仮名)と同一人物 2007.6.27 内容修正 |
金君子 (キム・グンジャ) |
養父に「お金が稼げる所があるから」と言われ | △ | 連行した人が、証言によっては、軍人であったり、職業が明示されていなかったりする | |
金順徳 (キム・スンドク) |
男に日本の工場で働かせると騙され | × | 後に「准看護婦」をすると騙されたと証言したり、証言に過激な内容が追加される | ・金徳鎮(キム・ドクチン)(仮名)と同一人物 2007.4.15 情報追加 |
金福善 (キム・????) |
男達に工場に就職させると無理やり連れ去られ | △ | 強制連行を意識して一部内容を変更している可能性あり | ・金台善(キム・テソン)(仮名)と同一人物 2007.4.10 情報追加 |
金学順 (キム・ハクスン) |
キーセン検番の養父と共に行った中国で軍人に連行 | × | 後から、強制連行が追加される。その内容もコロコロ変わる | 2007.7.12 情報追加 |
金允心 (キム・ユンシム) |
車に乗った軍人たちに拉致され | × | 証言毎に所々全く異なる内容を証言 | 2007.4.15 新規追加 |
沈美子 (シム・ミジャ) |
作った刺繍に難癖をつけられ警察に連行 | × | 証言内容が一定していない。韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会の調査でも落とされる | 2007.7.12 情報追加 |
池石伊 (チ・ドリ) |
慰安所の主人の妾に工場で働くと騙され | ○ | 2007.5.2 新規追加 | |
鄭書云 (チョン・ソウン) |
区長に工場で働くと言われ(逮捕されていた父の解放と交換条件) | × | 日本統治前のインドネシアの慰安所に入れられる | 2007.7.2 新規追加 |
盧清子 (ノ・チョンジャ) |
処女狩りで軍人に連行 | × | 証言内容が一定していない。韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会の調査でも落とされる | 2007.4.11 新規追加 |
朴玉善 (パク・オクソン) |
水汲みに行った際、日本軍人に拉致される | × | 「友達に工場で働こうと誘われた」と全く異なる証言をしている | 2007.4.4 新規追加 ・朴玉仙と表記されている場合もあり |
朴玉蓮 (パク・オクリョン) |
男に野戦病院で働くと騙され | ○ | ・朴順愛(パク・スネ)(仮名)と同一人物 2007.4.26 情報追加 |
|
朴頭里 (パク・トゥリ) |
男に工場で働かせると騙され | △ | 細かい所でコロコロと証言を変更 | 2007.4.2 新規追加 |
河順女 (ハ・スンニョ) |
男に金儲けが出来る仕事があると騙され | ○ | ||
黄錦周 (ファン・クムジュ) |
日本軍の工場に働きに行くように命じられ | × | 連行された年齢すら14歳~20歳とばらばら | 2007.7.12 情報追加 |
文玉珠 (ムン・オクチュ) |
帰宅途中、軍服を着た日本人に連行 | △ | 後から、強制連行が追加される | 2007.4.22 情報追加 |
文必ギ[王+基] (ムン・ビルギ) |
勉強もできて金儲けができると騙され、軍人に引き渡される | 保留 | 証言は胡散臭いのですが否定できる決定的な証拠がありません | |
尹順萬 (ユン・スンマン) |
日本兵に連行され | × | 証言内容に具体性が欠ける。多くの証言集で取り上げられていない | 2007.4.26 新規追加 |
尹頭理 (ユン・ドウリ) |
駅前で巡査に呼び止められ連行 | △ | 証言に疑問点が多い |
2007.6.27 内容修正 |
※北朝鮮分のみ、「日本兵の残虐性」の項目を追加しています。北朝鮮は「残虐な日本兵」というイメージを植えつけたいのでしょう。頑張り過ぎた結果、韓国の元・従軍慰安婦とは異なる特色を持ってしまっています。(2007.4.4追加)
◆◆◆ 北 朝 鮮 ◆◆◆ | |||||
名前 | 慰安婦となった経緯 | 証言の 信憑性 |
日本兵の 残虐性 |
備考 | |
李京生 (イ・ギョンセン) |
日本の警官に突然拉致 | × | 証言によって、連行時の様子が全く違う | ・木に裸で逆さに吊るした後、バラバラに切断して川に捨てる ・妊婦の腹を割いて胎児を殺す |
2007.7.14 情報追加 |
李福汝 (イ・ボクニョ) |
兵隊か巡査に無理やりトラックに乗せられ | × | 証言に疑問点が多く、統一性もない | ・木に吊るされ乳房を切り取る ・人の頭を煮た煮汁を飲まされる ・赤く焼いた鉄棒を押し付けられる |
2007.5.2 新規追加 |
金大日 (キム・デイル) |
病院の院長に慰安婦にさせられる | × | 証言内容が無茶苦茶 | ・煙草の火を子宮につける ・妊婦の腹を切り裂き、胎児と妊婦を殺す ・慰安婦150人並べて斬首 |
2007.5.3 新規追加 |
金英実 (キム・ヨンシル) |
日本人将校に「いい仕事を紹介する」と騙され | × | 将校が女性を騙して慰安婦にしていたと証言 | ・朝鮮語を使った慰安婦を見せしめに斬首 ・無理やり水を飲ませて、腹の上に2人が乗る |
2007.7.27 情報追加 |
鄭玉順 (チョン・オクスン) |
水汲みしていた際に日本の守備兵に拉致される | × | 荒唐無稽な内容 | ・一面釘を打った板の上を転がす ・殺した女性の頭を釜で煮て食べさせる ・陰部に焼けた鉄の棒を突っ込む ・無理やり水を飲ませて、腹の上に兵隊が乗る ・逆さづりにして、針が沢山ついた塊を口に押し込む |
2007.7.15 新規追加 |
朴永心 (パク・ヨンシム) |
日本人巡査に「いい仕事がある」と騙され | △ | 時に人肉スープを食べさせられたと証言する等、所々にウソがある可能性大 | ・人肉スープを食べさせられる | 2007.4.3 情報追加 |
■ | |||||
李桂月 (イ・ゲウォル) |
村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ | × | 典型的な「従軍慰安婦」「日本兵」のイメージで作られた創作だと思われます | ・妊婦の腹を切り裂く ・縛って井戸に投げ込んで殺す |
2007.4.3 情報追加 |
郭金女 (カク・クムニョ) |
工場経営者に「ソウルの工場で働くことになった」と言われ | ・子宮を切り取ってやると刀で切りつけられる ・乳首を噛み切られる |
2007.7.17 情報追加 |
||
金英淑 (キム・ヨンスク) |
日本人巡査に「お金が稼げる仕事がある」と騙され | ・妊婦を木に吊るして腹を切り、腸や胎児をめった切り ・陰部に刀を差し込む ・約20名中、生き残ったのは数名 |
2007.7.17 情報追加 |
||
~ オ マ ケ ~ | |||||
都秋枝 (ト・チュジ) |
悪い人に拉致され日本総領事館を通じて日本に連行される | × | **** | 2007.7.2 新規追加 ※慰安婦ではありません |
◆◆◆ 在 日 コ リ ア ン ◆◆◆ | ||||
名前 | 慰安婦となった経緯 | 証言の信憑性 | 備考 | |
宋神道 (ソン・シンド) |
朝鮮人の女性にそそのかされ | ○ | 2007.7.5 情報追加 | |
裵奉奇 (ペ・ポンギ) |
業者に楽園のようなところで働かせると騙され | ○ | 2007.7.5 情報追加 |
◆◆◆ 日 本 ◆◆◆ | ||||
名前 | 慰安婦となった経緯 | 証言の信憑性 | 備考 | |
石川たま子 (仮名) |
遊郭で働いていた時に警察から指名され慰安所に移る | ○ | 2007.7.8 新規追加 ※サイパン帰りのたま子さん ※日本に分類したが、在日コリアンの可能性あり |
|
田中タミ (仮名) |
父親に遊郭に売られ、その後、慰安所に移される | ○ | 2007.7.4 新規追加 |
◆◆◆ 中 国 ◆◆◆ | ||||
名前 | 慰安婦となった経緯 | 証言の信憑性 | 備考 | |
万愛花 (ヴァン・アイファ) |
日本軍に捕まって | × | 証言に統一性がなく、創作と誇張に満ちている | 2007.6.17情報追加 |
陳林桃 (ツェン・リンタウ) |
日本兵と漢奸に連行され | ○ | 2007.5.7新規追加 | |
李秀梅 (リ・シュウメイ) |
日本兵に連行され | ○ | 2007.5.7新規追加 | |
劉面換 (リュウ・ミエンファン) |
日本兵と漢奸に連行され | ○ | 2007.5.7新規追加 |
◆◆◆ 台 湾 ◆◆◆ | ||||
名前 | 慰安婦となった 経緯 |
証言の信憑性 | 備考 | |
匿名 | 看護婦をすると騙され | × | 終戦後に、配給所で働いて1万ドルの軍票を受け取ったと証言 | 2007.7.30新規追加 |
◆◆◆ イ ン ド ネ シ ア ◆◆◆ | ||||
名前 | 慰安婦となった 経緯 |
証言の信憑性 | 備考 | |
マルディエム | 芝居をやると騙され | × | 募集・引率をした人物を日本人からインドネシア人に変更 | 2007.6.7新規追加 |
◆◆◆ フ ィ リ ピ ン ◆◆◆ | ||||
名前 | 慰安婦となった 経緯 |
証言の信憑性 | 備考 | |
トマサ・サリノグ | 家に来た日本兵に拉致 | △ | 脱走時の状況が理解不能。証言毎に相違点もある | 2007.8.30 新規追加 |
パシータ・サンティリアン | 日本兵に捕らえられレイプされる | × | 全体的に理解に苦しむ内容 | 2007.8.07 新規追加 |
ピラー・F・フリアス | 村にやってきた日本兵に連行 | × | 証言毎に細かい部分で内容が相違。レイプされたりレイプされなかったり | 2007.9.2 新規追加 ※ピラール・フリアス、ピラール・フィリアスと表記される場合もあり |
マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン | 検問で日本兵に呼び止められ | × | 物語じみた内容。内容に疑問点も多い | 2007.8.24 情報追加 |
レメディオス・ヴァレンシア | 市場で日本兵に捕らえられレイプされる | × | 後から日本軍の基地での監禁話を追加 | 2007.8.15 新規追加 |
ルフィーナ・フェルナンデス | 家に来た日本兵に拉致 | × | 重要な点で証言が相違 | 2007.8.1 新規追加 |
◆◆◆ オ ラ ン ダ ◆◆◆ | ||||
名前 | 慰安婦となった 経緯 |
証言の信憑性 | 備考 | |
ジャン・ラフ・オハーン | 収容所から慰安所に連行される | ○ | ・ジャンヌ・オヘルネと表記されている場合もあり 2007.8.15 情報追加 |
※それぞれの名前をクリックすると詳細情報のページに飛びます。
名前 | 証言内容概略 (慰安婦関連) |
備考 |
吉田清治 | 村を包囲し、若い女性を全部道路に追い出した後、使えそうな若い女性を殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み連行した。 | 2007.7.11 新規追加 ※元日本兵ではありません |
湯浅謙 | 慰安婦は正しく性奴隷だった。 村祭りの際、軍人に集められ慰安婦にさせられた女性がいた。 |
2007.623 新規追加 |
以下は、「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦・新潮社)(P.382~387)に記載されているものです。
※名前をクリックすると詳細情報のページに飛びます
名前 | 証言内容概略 (慰安婦関連) |
備考 |
柴岡浩元 | 「歌や踊り等の慰問」と騙され慰安婦になったという話を聞き、以降、業者に接客を禁じる。 | 2007.621 新規追加 |
榎本正代 | 日本女性200人が部隊の炊事手伝いなどをすると騙されて慰安婦を強いられる | 2007.621 新規追加 |
井上源吉 | 業者の中には、軍命と称したり部隊名をかたったりする者がいるらしい。(慰安所経営者から聞いた話) | 2007.621 新規追加 |
鈴木卓四郎 | ある慰安所経営者は地主の次男坊で、小作人の娘たちを食堂と言って連れてきたが、売春を強いねばならない責任を感じているようだった。 | 2007.621 新規追加 |
総山孝雄 | シンガポールで慰安婦を募集すると、今まで英軍を相手にしていた女性が次々と応募し、あっという間に予定数を越えた。 | 2007.621 新規追加 |
大岡昇平 | 従軍看護婦の婦長が言い出し、看護婦に1日に1人ずつ兵を相手にすることを強制した。 | 2007.621 新規追加 |
野本金一 | 村長に慰安婦としてビルマ人女性の募集させようと計画したが、半強制的になっては問題があるとして中止した。 | 2007.621 新規追加 |
河東三郎 | 戦地に行くと無試験で看護婦になれると騙されて来た慰安婦がいた。 | 2007.621 新規追加 |
以下は、「従軍慰安婦」(吉見義明・岩波新書)に記載されているものです。
名前 | 証言内容概略 (慰安婦関連) |
備考 |
「従軍慰安婦」(吉見義明・岩波新書) | 内容は左のリンク先を参照して下さい | 2007.7.9 新規追加 |
資料名 | 備考 | |
日本 | 陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒(1938年) | |
日本国内の慰安所 | 2007.7.3情報追加 | |
朝鮮 | 〔1930年代〕朝鮮半島における売春業関連の誘拐・詐欺等の新聞記事 | |
〔1944年〕朝鮮半島における慰安婦募集の広告 | ||
〔1950、1960年代〕韓国の米軍慰安婦 | ||
<写真>韓国の米軍慰安婦 | 2007.5.4新規追加 | |
現在の韓国の状況(売春関連記事) | 2007.5.4情報追加 | |
他 | ベトナムの米軍慰安婦 | 2007.8.31 新規追加 |
【経歴等】
本名、吉田雄兎、別名は東司、栄司
1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜
1937年、満州国地籍整理局に就職
1996年3月結婚
1942年9月、労報下関支部に就職
1947年4月、下関市議に共産党から出馬して落選
1970年頃、門司の日ソ協会の役員をしていた
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労報へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。
1983年7月、『私の戦争犯罪(三一書房)』を出版。慰安婦狩りの生き証人としてマスコミ等でもてはやされる。
※参考:秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書1999.6
【考察】
「ザンゲ屋」、「詐話師」として有名な人物。
その詐話っぷりについては、既に多くの方が書籍、ホームページ等で論じているので、当ページでは吉見義明氏の以下の文章を紹介するに留めたいと思います。
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では、この証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地でえられた証言は否定的なものばかりだったといっている。そのほか、この証言にたいする多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。
そこで、私たちは、一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。とくに、この本(※『私の戦争犯罪(三一書房)』)のなかにある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。
これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。
そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。なお、私は、一九九一年から慰安婦問題の研究をはじめたが、この間、吉田さんのこの証言はいっさい採用していない。
証言としてかんじんな点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦[徴用]にかんする吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい。
<吉見義明・川田文子「『従軍慰安所』をめぐる30のウソと真実」大月書店1997.6(P.26~27)>
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なお、現在の日本ではさすがに、「吉田証言」を強制連行の証拠として使用する知識人はいないのですが、海外では、有効な証拠として取り扱われることがあるのが現状です。
例えば、2007.6.26に米下院外交委員会で可決された慰安婦決議案でも「吉田証言」が有力な根拠として使用されていますし、2007年に発行された<琴秉洞「告発<従軍慰安婦>」同時代社2007.5>にも証拠として引用されています。
「吉田証言」は、「証言などいくらでも作り上げることができる」という良い例であるとともに、ウソであっても(もしくは、信憑性不確かであっても)、その証言内容が自分の主張に都合の良いものであれば、いくらでも取り上げる人がいるという良い例であると言えるでしょう。
本当のことならともかく、ウソ証言を元に批判されたのではたまったものではありません。
【証言内容】
出典等 1991.5.22朝日新聞(大阪版) 内 容 「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。
「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。とはいえ、その実態は歴史から消えている。慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。
吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)
私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。
10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。
今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。