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元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
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◆◆◆ 都秋枝(ト・チュジ) ◆◆◆


【生い立ち・慰安婦になった経緯等】

1949年10月28日神奈川県川崎市で生まれる。1960年、在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮に帰国。2003年10月18日に豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ、日本国総領事館を通じて日本へ拉致され千葉県松戸市に連行される。2007年6月21日に日本を脱出し北京の北朝鮮大使館に保護される。


【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】

ジープに乗せられた後、日本国総領事館を通じて日本に拉致される。


【考察】

豆満江で悪い人たちに拉致されたと証言していますが、日本兵でしょうか、それとも、日本の手先となって働いている朝鮮人でしょうか。
どちらにしても、日本国総領事館を通じて日本に連行されていますから、公権力の関与は明らかのようです。

また、下記記事からは、日本に拉致された後、何をさせられていたかは不明ですが、興味のあるところです。


なお、朝鮮日報の記事で同女は58歳になっていますが、1949年10月28日生まれなら、2007年6月は満57歳、数え年で59歳です。57歳の誤りでしょう。


【信憑性】

書くまでもないでしょう。
脱北して日本に逃げて来たのが、なぜか拉致されたことに。北朝鮮に置いてきた子ども達と会う為にはこれしか方法がなかったのでしょうか。

しかし、気を抜いていると、将来、これが事実として定着しかねないのが恐ろしい所です。
韓国も今は、「何をバカなことを言っているんだ」的な対応ですが、忘れた頃に誰かが「日本は2000年代になっても強制連行していた!」と持ち出してくるかもしれません。なにせ、証人がいるのですから。


【資料等】
年月 資料名等 著者 出版社
内 容 等
2007.6.26 朝鮮日報「北朝鮮『2003年に日本が北朝鮮女性を拉致』」 ***** ****
北朝鮮は26日、日本が2003年10月18日に北朝鮮女性のト・チュジさん(58)を拉致したと主張した。

 在北京・北朝鮮大使館は26日午前9時(現地時間)、北朝鮮大使館で国内外のメディアを対象に共同記者会見を行い、日本が4年前にト・チュジさんを拉致したと発表した。

 この会見にはトさんも同席した。この会見でトさんは「2003年10月に豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ、在瀋陽日本国総領事館を通じて、日本へ強制拉致された」「3年7カ月間日本で生活したが、今月21日に日本を脱出して、現在は在北京・北朝鮮大使館で保護を受けている」と主張した。

 この日トさんは記者団の質問に一切答えず、北朝鮮映画『民族と運命』の主題歌を歌いながら会見場を後にした。

 トさんは1949年10月28日に神奈川県川崎市でト・サンダルさんの三女として生まれ、1960年に帰国船に乗って北朝鮮に入国したという。
2007.6.27 朝鮮日報「【記者手帳】北朝鮮大使館のおかしな会見」 ***** ****
 25日夜、北京の北朝鮮大使館は外国の特派員らに対し、「明日午前9時、大使館で緊急記者会見を行う」と伝えた。緊迫度が増す北朝鮮の核問題に関する発表を予想していた各国の記者約80人は翌朝、1時間前から大使館の外に長蛇の列を作った。

 ところが予想は大きく外れた。大使館は「これから、日本に強制的に連行された都秋枝(ト・チュジ)さん(58)の記者会見を開きます」とアナウンスしたのだ。

 記者たちの前に現れた中年の女性は、1949年に日本で生まれ、15歳のときに在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮に渡り、現在は5人兄弟の母親だという。ところが、「2003年10月、悪い人たちにそそのかされ、豆満江を越えて中国に渡ったところで無理やりジープに乗せられ、日本へ連れていかれた」と彼女は語った。

 そして「日本ではただ子どもたちに会いたいという一心で、酒と睡眠薬におぼれる毎日でした…北朝鮮では“苦難の行軍”(1990年代中盤の食糧不足)のときにも幸せだったのに…」と涙ながらに語り、「日本は子どもが親を殺すような国だ。人間の住む所ではない」と語気を強めながら非難した。

 今月21日に日本を脱出したという彼女は最後に「歌を1曲歌う」と言った。そして「ああ、将軍様のおかげで‐わたしたちは一つの家族、将軍様の家族です」と歌った後、記者の質問にも答えず足早に会見場を後にした。

 2年前の05年4月にも、北京の北朝鮮大使館で記者会見が開かれた。このときも「核問題に関する発表」を予想して集まった記者たちは、「日本人に拉致された」という安筆花=日本名・平島筆子=さん(69)のメチャクチャな主張を聞かされた。安さんはこの時、「将軍様の家族です」という歌の代わりに「将軍様、万歳!」と叫んだ。

 北朝鮮は日本が自国による「日本人拉致問題」を追及し続ける中、「われわれも被害者だ」と主張しようとしているのかもしれない。だが、そうした主張が説得力を持つには、少なくともなぜ拉致が行われたのか、どうやって「脱出」し、どこで生活していたのか、詳しく説明するべきではないだろうか。2年後に同じような「異常ずくめの記者会見」を見させられた外国の特派員たちは皆苦りきった様子だった。
2007.6.26 毎日新聞「脱北者:千葉県滞在の北朝鮮女性が帰国の意思 北京で会見」 ***** ****
 【北京・西岡省二】北朝鮮から03年に脱出した後、日本に保護され、千葉県内に滞在していた北朝鮮女性が26日午前、北京の北朝鮮大使館で記者会見し、再び北朝鮮に戻る意思を明らかにした。

 女性は川崎市出身の「都秋枝(ト・チュジ)=57」と名乗っている。

 都さんは在日朝鮮人と日本人の間に生まれ、在日朝鮮人の帰国事業で1960年、北朝鮮に帰国した。その後、03年10月、中朝国境の豆満江を越えて中国に逃れた後、遼寧省瀋陽の日本総領事館に保護された。その後、日本に渡り、千葉県松戸市で暮らしていた。

 都さんは「今の日本は昔住んでいた日本とは大きく違った。氷の大きなかけらのような感じがした」などと語った。

 北朝鮮大使館は同日、「日本に強制的に連れて行かれた共和国(北朝鮮)公民の記者会見」と題し、北京駐在の各国記者を集めた。都さんは涙声で語り、記者会見の最後には90年代の北朝鮮映画の主題歌を歌った。
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