元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
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◆◆◆ 文必ギ[王+基](ムン・ピルギ) ◆◆◆
【生い立ち・慰安婦になった経緯等】
1925年慶尚南道生まれ。家はさほど苦しくはなかった。1943年18歳の時、勉強もできるし、金儲けもできるという男の言葉に騙されて、満州で3年間、慰安婦生活を強いられる。
2000.12月、女性国際戦犯法廷で証言を行う。
【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】
家の近くのトラックに乗せられる場所には日本人巡査が来ており、釜山駅からは軍用列車に乗り、以降は日本の軍人達が慰安所まで引率。
【考察】
同女の証言は、以下の通り「従軍慰安婦」を意識し過ぎた内容になっていて、私は逆に胡散臭さを感じます。以下、「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」に記載されている証言。
○「日本人の手先として働いていた五〇代くらいの男の人がいました。ある日その人が私に、勉強もできてお金も儲かる所に行かせてあげると言いました。(P.119)」
・・・騙したのはあくまで日本人の手先
○「そこには村の派出所に勤務する日本人巡査のタナカという人も来ていました。(P.119)」(※「そこ」とは、同女を連行する為のトラックが停められていた場所)
・・・日本の公権力の関与を匂わす記述
○「私たちが乗った汽車には民間人用の車両と軍人用の車両がありましたが、私たちは軍人用の車両の方に乗りました。日本の軍人が私たちを引率していましたが、軍人たちは私たちを別々に座らせて互いに話もできないようにしました。(P.120)」
・・・日本の軍人たちが引率
○「慰安所にいた朝鮮人男性が、女を連れて来いという日本の軍人の依頼を受けて、故郷に行ってキヨコを騙して連れて来たのだと言っていました。(P.121)」
・・・主犯格が日本の軍人であったことを明示
○「慰安所から近い部隊に所属する軍人たちが交替で派遣されて歩哨に立ちました。(P.121)」
○「歩哨兵がいつも私たちをいつも監視していました。(P.126)」
・・・ここでも軍の関与を示唆。慰安所に歩哨を置いて監視する程、暇ではないと思うのですが
○「軍人は全員日本人です。もし、朝鮮人が入って来たなら思いっきり泣きつくこともできたでしょうが、三年間、朝鮮人の軍人は一人も見ることがありませんでした。ほかの「慰安婦」の中には朝鮮人を見たと言っていた人もいました。(P.123)」
・・・女性を性奴隷として扱うのは日本人だけで、朝鮮人はいてもホンのわずかと言うことでしょうか
以上、恣意的な感じ(※あくまで「感じ」)がする記述が多数見受けられます。
また、同女は
「慰安所に送られて三年目の二十歳のとき終戦を迎えました。(P.127)」
と、「終戦」という言葉を使用しています。8月15日は日本人にとっては終戦記念日でも、韓国人にとっては植民地支配から解放された「光復節」です。他の元・従軍慰安婦の方々も「終戦」ではなく「解放」という言葉を使用しています。
裏に日本人のゴーストライターがいたのではと疑いたくなります。
【信憑性】
このパターンの証言をする人は、複数の証言を突き合わせると必ずと言っていいほどボロが出てくるものですが、現在、突き合せるべき資料がない為、現段階では信憑性の判断は保留します。
【資料等】
年月 資料名等 著者 出版社 内 容 等 1993.10 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編集 明石書店 普陽郡の私の村には、日本人の手先として働いていた五〇代くらいの男の人がいました。ある日その人が私に、勉強もできてお金も儲かる所に行かせてあげると言いました。私は勉強ができないことをとても恨めしく思っていたので、勉強できるという言葉に引かれて承諾しました。~(中略)~私が満十八歳になった一九四三年秋のことです。~(中略)~数日後の夕刻、再びその男が家に来て、ちょっと用があるから出て来いと言うので、両親には何も言わずに家を出ました。すると、家から少し離れた場所にトラックが停められていました。そこには村の派出所に勤務する日本人巡査のタナカという人も来ていました。その二人が私をトラックに乗せて釜山に連れて行きました。~(中略)~食堂で朝食をとったあと、他の四人の女たちと一緒に釜山駅を出発しました。私たちが乗った汽車には民間人用の車両と軍人用の車両がありましたが、私たちは軍人用の車両の方に乗りました。日本の軍人が私たちを引率していましたが、軍人たちは私たちを別々に座らせて互いに話もできないようにしました。~(中略)~汽車に一緒に乗って行った私たちは全員、満州にあった軍慰安所に配属されました。(P.119~120) 2006.6 証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅰ 西野瑠美子・金富子編集 明石書店 (※管理人注:同書の内容は「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」を転載したもので内容は同じ)
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