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元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
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◆◆◆ 金君子(キム・グンジャ) ◆◆◆


【生い立ち・慰安婦になった経緯等】

1926年生まれ。10歳で父、14歳で母をなくし、16歳の時、巡査をしている人の養女になる。1942年3月、養父から「お金を稼げるところがあるから」と言われて朝鮮人の軍人に連れられ、中国吉林省の琿春(フンチュン)の慰安所にて慰安婦を強いられる。

2007.2.15米国下院外務委員会アジア太平洋環境小委の「慰安婦聴聞会」にて李容洙、ジャン・ラフ・オハーンらと共に証言を行う。


【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】

家から慰安所まで引率したのが朝鮮人の軍人。(ナヌムの家歴史館ハンドブック)


【考察】

同女は、養父から何をするのかを明示されずに中国へと行ったようです。この事実から、養父は何をするのかを知っていたと思われます。もし、養父も含めて騙されたのなら、騙された内容を同女に告げるはずだからです。同女は養父に慰安婦として売られたと考えるのが自然でしょう。

集めた資料では2006.3.2朝日新聞のみが「工場で働かせてあげる」と具体的内容を告げていることになっています(父ではなく、朝鮮人2人の言葉のようですが)。
詳しい証言は、あまり手に入れられなかったのですが、朝日新聞だけがこの情報を載せているのも奇妙な話です。
朝日新聞は1991.8.11に「女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」と金学順(キム・ハクスン)さんの証言を歪曲した例もありますし、「工場」という言葉をあえて挿入したのは、「『女子挺身隊=従軍慰安婦』という等式を世に浸透させたい」という意思の表れでしょうか。それとも、養父、本人ともに騙されたことにしたかったのでしょうか。

また、引率した人は、証言毎に軍人であったり、そうでなかったりしています。以下の資料では、「ナヌムの家歴史館ハンドブック」と「東京の高校生平和のつどい」のみ軍人となっていて、その他では職業は記載されておらず、「ナヌムの家HP」では単に「30代ぐらいの朝鮮男」とあります。
この統一感の無さから、引率したのが軍人だったと言うことは非常に疑わしいと言えるでしょう。

なお、慰安婦になった年齢が16~17歳ですが、数え年と満年齢の混同でしょう。


【信憑性】

慰安所まで引率したのが軍人だったと言うのは、強制連行を意識して後から付け加えた創作でしょう。
その他の内容については信憑性はあると思います。


【資料等】
年月 資料名等 著者 出版社
内 容 等
2002.7.30 ナヌムの家歴史館ハンドブック ナヌムの家歴史館後援会 柏書房
 1926年、江原道平昌郡で3姉妹の長女として生まれる。
 父親を10歳のときに亡くし、母親も14歳のときに亡くなる。その後、母方の叔母の家で過ごすこととなるが、生活は苦しく、16歳のときある巡査の家の養女となる。その養父に「お金を稼げる場所があるので行っておいで、稼げなかったら帰ってくればいいから」と言われ、家まで連れにきた朝鮮人の軍人と一緒に、故郷を後にする。1942年3月のことであった。
 迎えに来たその男はハルモニを貨物列車に乗せ、中国の琿春へ連れていった。ハルモニを含む8人の女性が、そこへ連れて来られたそうだ。着いた先では、すでに9人の女性が働かされていた。表の門の上に「キンカク慰安所」とかかれた旅館のような所で、1年半くらいを過ごした。軍人たちは、土日にひっきりなしにやって来た。一人で来ることはなく、将校に連れられて団体でやって来たという。前の庭では100人以上の軍人が、列をなして自分の順番が来るのを待っていた。多い日には、1日に40人ほどの相手をしなければならなかったそうだ。~(中略)~
 二度目に連れていかれた場所は、「コガ市」という所であった。部隊が移動するので、慰安所もともに移動させられたのである。7人の女性が連れていかれた。そこでの生活も琿春にいたときとほとんど変わりなかった。ハルモニは、そこで解放を迎えたのである。(P.128)
2005.6.23 北海道新聞 ***** ****
 ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。女性たちがたくさんいて、兵隊の姿も見えた。
 着いたのは、中国吉林省琿春の「慰安所」。翌日から兵隊たちが小さな紙の券を手に小屋の前で列をつくった。広さは三畳ほど。堅い木の寝台に裸電球。一日三十人の相手をさせられた。「ジュンコ」と呼ばれた。十七歳だった。日本語がわからなくて、よく殴られた。ただ、「コノヤロウ」「バカヤロウ」「チョウセンジン」という単語は今でも覚えている
2005.11 東京の高校生 平和のつどい ***** ****
養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。
2006.03.02 朝日新聞 ※リンク切れ ***** ****
17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。
2007.2.10現在 ナヌムの家 HP ***** ****
- 動員過程
叔母集から 16歳の頃まで住んで江原道鉄原に養女に行った. その家お父さんがチェ・チォル誌という人だったが巡使だった. 十七肉(1942年) 3月にチェ・チォル誌が私に金儲けしに行きなさいと言って 30代ほどなる韓国男と一緒に行った. 初めに私はおつかいを送るかと思って検定スカートに薄緑色チョゴリを着て荷物もなく何も持たなくてそのまま行った. ところで汽車を乗ってみるから私のような女が 8人が貨物室にあった. 見知らぬ女達だから黙黙と座っていた. ところでその汽車には軍人たちがとても多かった. どこに行く分からなくてずいぶん長い間行った. 汽車から降りてまたトラックに乗ってずいぶん長い間行ったら旅館同じ家が出た. 離層集であるその家に降りて入って行ったらその所に先に来た女達が九ミョングツムがあった. その所がすぐ薫春だった.
2007.2.16 中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’…韓国・オランダ人女性3人が証言」 ***** ****
続いて、16歳だった42年に中国に連行された金君子さんが証言した
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