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元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
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◆◆◆ 李用女(イ・ヨンニョ) ◆◆◆


※李容女と表記されている場合もあり


【生い立ち・慰安婦になった経緯等】

1926年京畿道驪州(ヨジュ)生まれ。家が非常に貧しく8歳から奉公に出る。11歳の時、一家でソウルに上京し14歳で父親に飲み屋に売られる。その後、1942年、満16歳の時、その飲み屋の女主人に「金をたくさん稼げるところがあるから行かないか」と言われ承諾し、以降、ビルマ(現ミャンマー)のラングーンで慰安婦生活を強いられる。


【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】

無し。ラングーンへは朝鮮人の男性と女性の何人かが引率。


【考察】

同女に「金をたくさん稼げる良いところがあるけど行かないか」と勧めた飲み屋の女主人が慰安所で働くかを知っていたかどうかは不明ですが、同女が承諾した後、小遣いを与えて休ませているところを見ると、この女主人が前金を受け取っていたのでしょう。


【信憑性】

証言には特に不審なところもなく信憑性があると言えるでしょう。


【資料等】
年月 資料名等 著者 出版社
内 容 等
1993.10 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編集 明石書店
 女主人「金をたくさん稼げる良いところがあるけど行かないか」と言いました。一人で行くのではなく何人か行くのだから安心しろと言いました。どこへ行くのかと聞くと日本だと言いました。日本のどこにどうやって行くのか、そんなことはまったくわかりませんでした。お金をたくさん儲けて良いものを食べ良いものを着て、見物もできるというので行こうと思ったのです。~(中略)~女主人は薬を一包作って「これさえ飲めば、船に乗って日本に行くときも船酔いしない。すぐ家に帰って休んでいなさい。知らせる時までこれを小遣いにお使い」と言いながらお金をくれました。(P.230~231)

 それから「集合」という通知が来ました。一九四二年、私が満十六歳の時でした。~(中略)~朝鮮人の男性と女性が何人かで引率しました。~(中略)~1ヶ月以上かかって船はビルマのラングーンに到着しました。(P.231~232)
2002.7 ナヌムの家歴史館ハンドブック ナヌムの家歴史観後援会 編 柏書房
 一家はたいへん貧しく、8歳のころから奉公に出る。11歳のときに家族とともにソウルに出て製菓工場などで働くが、14歳のときから1年ほど奉公していた家の女主人「日本でお金をたくさん稼げるところがあるから行ってみないか」と持ちかけられる。結局、その女主人の言葉に騙され、1942年、汽車で釜山まで行き、そこから船に乗り台湾・シンガポールを経てビルマ(ミャンマー)のラングーン(ヤンゴン)に連れて来られる。着いた先は、日本ではなかった。

 ラングーンからは汽車に乗り、ある村まで行き、そこで「慰安婦」生活が始まった。(P.138~139)
(※2007.4.7追加)


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