元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
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◆◆◆ 呉五穆(オ・オモク) ◆◆◆
【生い立ち・慰安婦になった経緯等】
1921年全羅北道井邑の貧しい家の長女に生まれる。1937年満16歳の時、同村の金という男に紡績工場に就職させてやると言われ、友人とついて行く。満州で慰安婦を強いられ、その後、部隊と共に移動し南京で終戦を迎える。
【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】
無し。同村の金に引率され、満州で日本人に引渡される。
【考察】
証言内容には特に不審点は見当たりません。
【信憑性】
信憑性はあると思います。
【資料等】
年月 資料名等 著者 出版社 内 容 等 1993.10 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編集 明石書店 満十六歳になった一九三七年の頃でした。両親はいい人がいれば私をお嫁に行かせたいと言いました。こうしたある日、井邑に住む金という男の人が私に「紡績工場に就職させてあげる。いっしょに行く友達がいれば言いなさい」と言いました。~(中略)~それで、私はお金を稼ごうと思い、その頃家によく遊びにきていたオクヒといっしょについて行きました。~(中略)~オクヒといっしょに金について井邑駅に行ってみると、三人の女の子がいました。~(中略)~再び汽車に乗って三、四日かかって満州で降りました。奉天付近で私たちが金に「工場に行くと言ったのに話しが違うのではないか」と言うと、金は「言う通りにしろ」と言いながら、私たちを日本人に引き渡すと姿を消してしまいました。その後は、日本人のあとについて、さらに北の方に向かいました。満州の果てだと言っていましたが、正確な地名はわかりません。(P.96)
井邑からいっしょに行った私たち五人は、ここから日本軍部周辺のテント村に入って行きました。~(中略)~
私は最初は軍人に食事を運ぶ仕事をしながら、一般の兵隊たちの相手をしなければなりませんでした。慰安所の管理人たちのなかには日本人も朝鮮人もいました。彼らが女たちに「誰それは今日どこそこへ行け」と命令すれば、女たちは部隊内に呼ばれて入って行き、一日に五、六人、多いときは十人くらいの軍人たちの相手をさせられました。(P.97)
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