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元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
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◆◆◆ 李英淑(イ・ヨンスク) ◆◆◆


【生い立ち・慰安婦になった経緯等】

孤児で、大阪で十歳頃まで女中奉公をしていた。両親が朝鮮人だった為、1937年15歳の時、朝鮮に帰り、冷麺屋で働いたり、女中をしたりして生活をする。1939年、日本で就職させてやるという朝鮮人がいるので一緒に行こうと友達に誘われ、以降、広東で慰安婦生活を強いられる。


【慰安所までの移動時の公権力・軍の関与等】

釜山まで朝鮮人の夫婦に引率され、釜山で日本人の軍属に引渡される。


【考察】

朝鮮人夫婦に騙され釜山で日本人の軍属に引き渡され、以降、広東まで引率されています。この引渡しまでに一行は、釜山と新義州を行ったり来たりしていますが、引率してくれる人を探していたのでしょう。そして、やっと見つけたのがこの日本人の軍属だったのではないでしょうか。


【信憑性】

証言内容には特に不審点は見当たりません。


【資料等】
年月 資料名等 著者 出版社
内 容 等
1993.10 証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編集 明石書店
 一九三九年の十二月、十七歳になった年でした。ある日、就職させてくれるという朝鮮人がいるから、日本に一緒に行こうとその子(※友達(管理人注))が言いました。~(中略)~友だちと一緒に、故郷が平安道新義州にあるという朝鮮人夫婦に会いましたが、そこには私たちの他に四人の女の子がいました。~(中略)~その人達と一緒に、釜山の旅館で一週間、船がくるのを待っていました。けれども、船が来なかったのでしょうか、汽車に乗って新義州に行こうということになり、朝鮮人夫婦について新義州に行きました。その朝鮮人の男は、私たちの行動が気に入らないと、鉄の棒を指の間にはさませて拷問を加えるなど、ひどく虐待しました。新義州で一週間程、朝鮮人の民家にいましたが、明け方に汽車に乗ってまた釜山へ行きました。釜山に着いたのは、わずかな距離の見分けもつかないほど真っ暗な夜でした。私たちは日本人に引き渡されました。その日本人は軍属で、軍服は着ていましたが階級章はありませんでした。(P.71)

 主人は日本人夫婦でした。男は四十歳、女は三十五歳くらいに見えました。(P.76)
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