元・従軍慰安婦達が慰安婦となった経緯を確認すると共に、その証言の信憑性を検証するブログです
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「慰安所」は、1932年、いわゆる上海事変が勃発した頃に下記目的で設置されました。多くは民間業者が経営していましたが一部地域においては日本軍が直接経営したケースもあり、民間経営の場合も日本軍は慰安所の開設許可・施設整備・慰安所規定の作成をするなど、慰安所の経営・管理に直接関与していました。
①強姦事件の防止
②性病対策
③軍人への慰安
④機密漏洩の防止
この「慰安所」にいた慰安婦の人数の特定は名簿が残されていないため困難ですが、陸軍は兵100人に1人と指示していたようで、そこから類推すると海外の兵員は最大350万人ですから、そのまま計算すると3万5千人。交代も考えて1.5倍すれば、約5万3千人と推計されます(※これはあくまで単なる目安です)。
また、1940年に大本営の研究班が性病罹患について調査を行っており、その資料では、朝鮮人52%、中国人36%、日本人12%の割合となっています。調査対象の全てが慰安婦ではなかったでしょうが、参考として上げておきます。
この「慰安所」商売はかなり儲かったらしく、朝鮮の売春業者などは中国大陸に展開する日本軍のもとに営業に押しかけていたようです(長沢健一(元軍医大尉)「漢口慰安所」図書出版社)。また、戦争末期には、売春業が「戦争やっている非常時に性風俗業など不謹慎だ」と白い目でみられるようになり、日本国内や朝鮮の売春業者が売春婦を引き連れて戦地に赴き、日本軍相手に商売を行うということもあったようです。
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そもそも「従軍慰安婦」という言葉は後の世の造語で太平洋戦争当時からあった言葉ではなく、当初からあったのは「慰安婦(戦地の将兵を慰安する女性)」という言葉のみです。
広辞苑では、「従軍慰安婦」は以下のように記述されています。
「日中戦争太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性」
また、「慰安婦」を見ると、
「『従軍慰安婦』参照」
となっています。つまり、広辞苑によると「従軍慰安婦」=「慰安婦」なわけです。
よく分からない記述です。従軍慰安婦否定論者は「従軍慰安婦なんていなかった、いたのは慰安婦(もしくは営業慰安婦)だけだ」と主張しているわけですから、広辞苑が正しいとするとこの主張は意味不明なものとなってしまいます。
また、広辞苑の説明の場合、「日本軍によって強いられた、女性」なわけですから、もし、父親が娘に「慰安所に行って金儲けしてこい」と強要された場合は、何になるのでしょうか?日本軍に強いられたわけではないですから、従軍慰安婦でも慰安婦でもないわけです。その娘が慰安所で働いたとしても慰安婦ではなく、ただの娼婦ということになるのでしょうか。それとも、「日本軍によって」を広く解釈して、日本軍が慰安所を設置したのだから、父親の強要は間接的に日本軍によるものだとしてやっぱり、従軍慰安婦ということになるのでしょうか。
訳が分かりません。
通常、従軍慰安婦否定論者がこれらの言葉を使用する際は、概ね以下のように使用しています。
慰安所で慰安行為をして働いてたのが「慰安婦」で、「慰安婦」=「従軍慰安婦」+「営業慰安婦」。
つまり、「慰安婦」と言う大きな枠があって、その中の一つが「従軍慰安婦」なわけです。そして、日本軍による強制連行があった慰安婦を「従軍慰安婦」とし、それ以外を「営業慰安婦」としています。ここで言う「強制連行」とはいわゆる「狭義の強制連行」で辞書的な意味での「強制連行」です。そして、日本軍による強制連行なんか無かったと主張しているわけです。広辞苑とは異なる言葉の意味です。
従軍慰安婦問題はその言葉からして、人によって異なる語義で使用されたり、争点があって明確に定まっていない状況にあると言えるでしょう。